aotateru

この町がいつのまにか自分の場所になってきている。わたしと、ちょっと風変わりな整体師の夫と、わたしたちのところに降りてきた、とてもとても元気なこどもとの暮らし。どんどん流れていく日々を、風景を、ちょっと待った、と切り取ってここに大切に取っておこう。整体のこと、グルテンフリーのこと、子どもといっしょに見えてくる風景のことなどなど。

つたえる。

スーパー戸村のレジに、
キレイな色白のお姉さんがいる。
 
若くて、清楚で、
ひな人形みたいにしっとりした感じで、
いつも落ち着いて、
淡々としていて、表情をぜんぜん変えない。
 
でも、お釣りを渡すときの手の感じが、
なんか好きで、
空いていればそこに並んでしまう。
(ストーカーではありません。)
 
それが、この間、
ちょうどいいキッカケを見つけた。
 
レジのところにかけてあった、
かわいらしい、
フェルト生地のクリスマスリース
 
あれ?これ手作りじゃない?
と思った。
すごく良くできていて、
ずいぶんかわいいから、
何度も見てみたけど、
縫い目の感じが、やっぱり手作りっぽい。
 
小さな町ではあるけれど、
そこに、4つも5つもある大きなスーパー。
 
そこに、手作りのクリスマスリースか。
なんかいいな、
うーん、すごくいいな!って思った。
 
これは、今しかない!
 
自分の品物のピッピッピが終わったとき、
思い切って、話しかけてみた。
 
「これって、手作りですか?」
 
「そうなんですよ。
 ほら、あの人が作ったんです。
 かわいいですよねー。(ニコッ!)」
 
笑ったー!
 
はじめて笑ったところを見て、
なんでか知らないけど、すごーくホッとした。
 
こんなふうに、
なんだかんだ話しかけちゃうのって、
おばちゃんになってしまった証拠だろーか、と、
思わなくもないけど、
そこは、考えないことにして。
 
あー、なんか、よかったなー。
 
ここのところ。
 
いいな、と思うことこそ、
ちゃんと伝えたいな、と思う。
 
文句とか、苦情っていのは、
そのときに沸き起こった感情に任せて、
伝えてしまうことがあるけど、
 
うれしかった、とか、
なんかよかった、とか、
そういうことのほうが
届けられることが少ないんじゃないかな。
 
家の中でもそう。
 
あれをしてくれなかった・・・、
こうしてほしかったんだけど・・・、
ってことよりも、
そこを、
まあまあ、と流して流して流して。
 
それそれ!
そういうのうれしい!
あれ、やっといてくれて、ありがとね。
 
って、
できるだけ、いちいち、
思い出した時でもいいから、
伝えるようにしたら、
なんか調子いい。
 
男と女は、
体の構造が違うとか、
脳が違うとか、
まあ、そうだと思うし、
 
誰かも書いていた。
 
パートナーが、
どうしてほしいのか、
どういうことをすると嬉しいのかっていうのは、
信じられないほど、
基本的にはわからない。
 
なので、
それをちゃんと教えてあげるとハッピーなんだよ、って。
 
やっぱりそうなのかー、
うちだけじゃなかったのかー、と納得。
 
そのくらい分かるだろー、
察してくれよー、
ってことほど、
どうやらわからないらしいし、
 
そういうオーラを出したところで、
ぜんぜん伝わっていない。。。
 
ってことに、
わたしは、2年か、3年前に、
うすうす気付いてきた。
 
ありがとう、とか、うれしい、とか、
ってことを、
特に家族に伝える習慣なんて、
わたしにはなかったし、
 
そんなのは、
改まってしか言えないような気がしてたから、
慣れるのにちょっと時間がかかってしまったけど。
 
不快なこととか、
イヤだったことや、
苦情をちゃんと伝えるのも大切、
かもしれないけど、
 
自分に待ったをかけられず、
そうしてしまうこともあるけど、
 
実は、そっちのほうは、
ホントはどうでもいいような気もしてきた。
 
ありがとう、とか、うれしかったよ、って、
その場で、とか、
後になってからでも、
ちゃんと言えるようになったんだったら、
おばちゃん、万歳。
気は若くありたいですが。
 
年を重ねるって、
こんなにおもしろいとは思わなかった。
 
まだまだ知らない感覚や世界が、
近くにもいっぱいあるんだなー。
 
いつも、
小さいありがとうを、
子どものようにいっぱい伝えてくる夫とか、
 
電話やメールで、
感謝の気持ちや、
うれしかった体験を、
きちんと伝えてくれる、
お客さんや、友達たちが、
実は先生だったことに、しみじみ。
 
今日は、晴れててりんごが美味しい。
 
夜は、丸焼きパーティーだー。
わーい。