aotateru

この町がいつのまにか自分の場所になってきている。わたしと、ちょっと風変わりな整体師の夫と、わたしたちのところに降りてきた、とてもとても元気なこどもとの暮らし。どんどん流れていく日々を、風景を、ちょっと待った、と切り取ってここに大切に取っておこう。整体のこと、グルテンフリーのこと、子どもといっしょに見えてくる風景のことなどなど。

適切に人を嫌いになる!?

暮らしの手帖が好きで、待合室にそろえています。
 
なかなかゆっくり読めないんだけど、
夫にちょっとムッとしたときになど、
家事をしばし、ぜんぶ放棄して、
別の部屋にこもって、暮らしの手帖をパラパラ。
 
米粉のりんごのレシピとか、
職人さんのお話とか、編み物の話とか、
毎号、どれも読みごたえがあって、すごく好きな雑誌。
 
うちの母も好きで、私が子どものころから
よく家にあったのを覚えてる。
 
今回。
荻上チキ、という人の文章がちょっと面白かった。
 
みんなが理想の美しい世界を求めてる中で、
しかも、暮らしの手帖なのに、すごいことを書いていた。
 
*
 
みんな、生きていく中で、
いろんな呪いの言葉をかけられたりしています。
 
それを確認して、背中からひとつひとつ
自分で降ろしていかなければいけない。
 
その手段は、
友達とおしゃべりするでもいいし、
カウンセリングを受けるでもいいし、
宗教でもなんでもいいんだ、
というようなこと。
 
それから、これ。
 
『自分を守るためには、
 適切に人を嫌いにならなければいけない。』
 
と書いてあった。
 
ただ、
気を付けなければいけないのは、
その人を単体で嫌いになればいいんであって、
その人の属するもの、
例えば、
女だから、
〇〇の会社だから、
〇〇出身だから、
とか、
そういうことまで嫌いになる必要はないし、
 
あと、
自分が嫌いだからといって、
他の人にまで、その人のことを悪く言ったりして、
嫌いになるように仕向けたりすることも、
社会の崩壊につながるので良くない。
 
あの人を嫌い、ということを、
人と共有できると、
ホッとしたり、連帯感に安心したりするけれども、
それもキケン。
 
結局、
恨みというのは、
自分にも帰ってくるものなんだから。
なんてことが書いてあった。
 
すごいなー。
荻上さん自身の暗い過去を、引き合いに出したりして、
ちょっと暗いけど、読みようによっては痛快で、
なんだかちょっとおもしろかった。
 
その記事の上に、
ヨシタケシンスケさんの、
あの、力の抜けた挿し絵があって、
「嫌いな人の耳に、水が入りますように。
 その水がトントンしても出てきませんように。」
と書いてあって笑ってしまった。
 
もちろんもちろん。
もちろん。
 
たぶん、
本当の本当は、
誰のことも嫌いになる必要はなくて、
すべての人が愛おしい存在で、
どんな人に対しても、
どれだけ感謝してもしたりないくらい、なんだと思う。
 
広く高くから、この世界を見下ろせば、
すべての人が、自分の応援団で、
ひどいことをするように感じた人だって、
あの世で再会してみれば、
自分の人生を豊かにしてくれるための、
名役者でした!
憎まれ役お疲れ様!
なんてこともあるのかも。
 
なんだけど、
どれだけ分かったと思ったって、
どれだけ悟ったような気がしても、
ちゃーんと、
ハイ次ね、って、
ちゃんとまたなにかが用意されていて、
そのひとつひとつが、
後になってみれば、
そのとき大変だったとしても、
楽しくて、美しくて、愛おしくって、
どうしようもなくおもしろい。
 
そんな人生・・・
わたしだけじゃない、よね?
 
なにかあったときに、
前向きな感情だけじゃなく、
自分にどうしようもなく沸き起こってくる怒りとか、
悲しいとか、
不満だとか、
不快だとか、
そういうのを抑えて抑えて、
コントロールして、
最初からなかったみたいにして、
感謝とか、
学びとか、
愛とか、
そういうキレイそうなもので隠してしまうと、
 
置いてけぼりになった体は、
ちゃんと訴えてくれる。
 
コントロールできなさすぎるのも、
それもまた大変なことだけど、
上手すぎてもきっと同じ。
 
うちの整体院に来てくださる方たちの体が、
そんなことを日々、教えてくれます。
 
家族だから、とか、
障害があるから、とか、
自分が悪かったから、とかとか。
 
そうなんだけど、
しんどいー!!!って、
言ったっていいんですよ。
と、
夫がお話しすると、涙を流される。
 
私自身はといえば、
自分のことは、棚に上げて偉そうに書いてるなぁ。
 
んー。
いや、それだけでもなくて、
ずいぶんまえから散々やってきた。
まだ足んないけど。
どっかに行ってしまった、
あのときの自分のホントの感情を、
苦労して探して、
掘り出して、
ちゃんと見てあげて、
しまい直してあげるような作業。
 
今も、
夫とはそんなことの繰り返しかも。
いつまでたっても終わらないけれど。
 
楽しいことや
ワクワクするようなことや、
大変なことや、
絶体絶命!なことを経験して、
それを感謝に変えていく、ことができたら、

それは本当に大きな学びだけど、
いい気分だけじゃない、
いいときだけじゃない、
むしろ逆のときの、
自分の体の反応とか、
正直言って、どう感じたのか、とか、
それを味わうことも、
ものすごーく大事な、
体っていうもののある、
この世でしか体験できない学びなんだろうな、と思う。
(↑自分に言っている)
 
それを味わって、味わって、
ちゃんと体を使って声に出して、
叫び続けたら、
いつかは気が済んで、
あれ、そんな大したことだっけ?
みたいになって、
許すも許さないもどっちでもよくなって、
結局ぜんぶ、
あのときはありがとう、しかない、
みたいになっていくのかなぁ。
 
なかなかできないこともあるけど。
 
わたしが、
夫に腹が立ってしょうがない時、
面と向かってはどうしても言えない。
それは子どものころからの癖。
自分の気持ちを、正直に感じたり伝える、
ってことがなかなか許されなかった環境とか、
そういうのかなぁ。
 
だから、
怒鳴り合い、ってホントにできないし、
そういう場面も、超苦手。
それに感情的に言ったってお互いの火に油を注ぐだけ。
なので、
言いたいことを、ドカンと書く!
メールでも手紙でも。
思いつけば、感謝の気持ちもついでに書く。
 
夫も私も、
圧倒的に、文字で理解しやすいタイプの
1種体癖(整体用語です)だし。
書き残してわたしは、
好きなことをしに旅立ちます。(主に日帰り)
そうすると、
ホーントにすっきりするし、
夫が普段伝えていることの意味を痛感するし、
感謝の気持ちも、自然にたくさんわいてくる。
 
そういえば。
 
自然界にだって、
雨や、雷もあれば、
地震もくるし、
台風もある。
雷は、お米を美味しくしてくれるらしいし、
台風がいろんなものを掃除してくれるから、
 そのあとが美しいんだし。
 
夫婦の仲にも、
子育ての中にも、
たまにはそんな強い刺激もあって
そのあとに虹が出たりして、
どっちもあって
自然なことなんだろうと思う。
 
っていうか、
そういうのが、
私が好みってことなのかな。
 
あー、またちょっと書き過ぎたー。
 
今朝は、雨の合間に虹を見たよ。
今日はいい夫婦の日、らしいので。
コトコト煮物でもしています。
 
仲良くしときます。